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more and more あつい視線が、横顔にじっと注がれている。 それはミハルの癖のようなものだった。たとえばこうして二人で雑談に興じている合間、いっしょに食事を囲んでいる時、あるいは読書に耽っている時。ふと気がつくと、彼は空と海の青を混ぜたみたいないろの瞳で、そわそわと俺のことを見詰めている。 「俺の顔に、なにかついてる?」 たずねると、ミハルは肩をぴょこんと跳ねさせて、驚いたようなそぶりを見せた。無意識だったのか、と俺はすこし呆れてしまう。 しかし無意味ではない。俺の知る限りでは、その視線に込められる意味は二通りあった。ミハルはそれを切り出すのを躊躇うように、いちど視線を落として唇をやわく噛んでから、ふたたび顔を上げて、おずおずと口を開いた。 「…撫でてもいい?」 これである。 べつに期待していたわけではないけれど、俺はこっそりと肩を落とした。これがもう一方だった場合には、抱いてもいい?となるからだ。けれど、それは十回のうち一回でもあればいいほうで、ほとんどはこちらだ。 「どうぞ」 応じると、ミハルはまるで幼い子供みたいに、ぱあっと表情を輝かせた。立ち上がるなりぱたぱたと側へ寄ってきて、俺の頭をぎゅう、と抱きすくめて頬をすり寄せる。 いわく、俺は犬に似ているらしい。言われてみれば、そうかもしれないと思い当たる部分も無いとは言わないが、それにしたって俺に対するミハルの扱いは、まるで犬そのものに接しているみたいだ。ときどき、彼の目に映る俺の姿は、人のかたちを成していないのではないか、と思うことがある。犬に似ていると評するのと、犬のように扱うのとでは、ニュアンスがだいぶ異なると俺は思うのだけど。 ミハルは回した手で、俺のうしろ頭をゆるゆるとさするように撫でつけている。手持ち無沙汰に、上目でちらと見上げてみると、彼はその瞳をきらきらとまばゆいばかりに輝かせて、興奮気味に頬をうっすら上気させている。心底楽しそうだ。そういう顔は、ずるい。俺は内心で、誰にともなくため息を落とすと、ふたたび大人しく頭を垂れた。 後頭部をゆっくり撫でていた手は、やがて天辺をすべって両側に至る。そこの髪をくしゃくしゃとやっていたかと思うと、今度は指が生え際を掻き分けながら侵入してきて、櫛でするように優しく梳いていく。 俺はひたすら、されるがまま耐えている。最初のうちはいい。けれどだんだん、胸がざわついてくるのがわかる。俺は思わず、伏せたままの顔をしかめた。いつもなら、ミハルはこのくらいで満足して、すっきりしたとでも言わんばかりの表情を浮かべて笑ってみせるのに、今日はずいぶんとしつこい。奥歯を食いしばってみるけれど、ミハルが髪に触れるたびに、ざわめきはどんどん大きくなる。これ以上は、いやだ。俺は堪えかねて、ミハルの腕をぐいと退けた。俺が抵抗するとは思っていなかっただろう、ミハルは吃驚した様子で目をまるくしている。 「…もう、充分だろう」 うつむいたままで吐き捨てる。ミハルは、俺が嫌がることは何であろうと決してしない。だから今日も、ミハルはこのまま退いてくれるはずだった。なのに。 「ダメだよ、クリス」 逆に腕を掴まれて、先のミハル以上に俺のほうが驚く。反射的にミハルを見上げると、真剣な眼差しに見詰め返された。 「きみはいつも、犬扱いしないで、って言うけど…でも、こうやって撫でられるの、好きだろう?」 どきりとした。ミハルの嗜好に渋々付き合っている、という体をずっと装ってきたつもりだったのに、ミハルは最初から、何もかもお見通しだったというわけだ。大真面目な顔に、ぼくには犬の気持ちがわかりますと誇らしげに書いてある。だから俺は犬じゃないというのに。 「ほんとにイヤなら、やめるけど。…どうしてほしい? きみが決めて」 もしもこれが、サディスティックな微笑みとともに囁かれた言葉なら、俺は迷わず、ノーと返事したはずだ。俺にだって、自尊心というものがある。辱めと知りながら、簡単に屈したりするものか。 けれど、目のまえにいるミハルは、満面に優しい笑顔をたたえて、俺を見ている。俺の弱みにつけ込んで優位に立ってやろうだなんて、この人はただの少しだって思っていないのだ。春に降る穏やかな日差しみたいな、やわらかくて優しい光を宿した瞳に見詰められながら、俺は丸裸にでもされた気分になる。抗えない。 「…もっと、して」 我ながら、驚くほど情けない声が漏れた。それでも、ミハルが慈愛に満ちた微笑みを返すので、羞恥心なんかより、恋しさのほうが勝る。ミハルの腕をぎゅっと掴むと、ミハルはよしよし、と俺の頭を撫でた。 「いい子だね」 手のひらが頭のうえを滑り、指が髪のあいだを梳くたびに、全身が甘く痺れるような感覚におそわれる。それに浸っていると、彼の手は、今度は耳のうらや、首のまわりにまで至った。顎の下をくすぐられると、たまらなく心地いい。思わずあまい息がこぼれた。ミハルはそんな俺を見てか、くすりと笑みを落として、かわいい、だなんて言っている。また俺のことが犬に見えているのに違いない。いつもなら文句のひとつでも返すところだけれど、もはや、そんな余裕はなかった。 (どうしよう、すごく、きもちいい…) 熱に浮かされたように、頭がぼうっとしている。ずっと我慢してきたのに、一度箍が外れてしまうと、歯止めがきかない。ミハルに触れられた場所が、ぞくぞくと粟立った。 「ううん…」 鼻から抜けるように漏れた声は、なるほど、犬の甘え声によく似ていた。ざわざわと体を撫で上げる心地よさに、肩をすくめて身をよじる。するとなぜか、ミハルの手の動きがはたと止まった。どうしたのかと顔を上げてみると、俺の瞳を覗きこんでいるミハルの顔が、くしゃりと歪んでいるのが見えた。かと思うと、その次の瞬間、がば、と体ごと抱きしめられる。 「ああ、もう! かわいいんだから…!」 たまらない、とでもいうように熱いため息をこぼして、ミハルは俺を抱く腕にぎゅうと力を込める。俺もミハルの胸にからだをすり寄せて、瞳を閉じた。 こうしてミハルの温もりに包まれていると、俺は、心も体も彼のまえに曝け出して、そのすべてを預けてしまいたくなる衝動に駆られる。見知らぬ人にも慈愛の手を差し伸べ、その誰にも見返りを求めず、果ては自らの命を危ぶませた相手でさえ、あっけらかんと笑って赦してしまう、その底抜けの優しさが、俺は好きだ。彼なら、俺のすべてを受け入れてくれる。そんな気がするのだ。 だからこうして、そばに寄り添っているだけで俺は、ひどく安心して、言いようもないほどに安らぐ。出来ることなら、いつまでもこうして、彼に甘えていたい、とさえ思うのだ。俺のからだが全部、ミハルのものならいいのにと。 「クリス」 耳もとで、ミハルが俺を呼んだ。吐息の混じった、優しい声。 「…すきだよ」 そんなこと、知っている。知らないのは君のほうだ。君なんかより、俺のほうが、ずっと、ずっと。 |
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ご主人さまにナデナデされて骨抜きにされちゃうクリスわん。 最初に好きになったのはミハルのほうだけど、クリスがどんどん懐柔されて、 想いの強さが逆転するところがこのカップルのかわいいとこだと思ってる。 ・・・ (2017.01.31) |